アール・ブリュットのもつ力

 

みなさんはアール・ブリュットという言葉を耳にしたことがありますか。

日本では、主に障がいを持つ人々のアート作品のことなどとされていますが、本来の言葉の意味は「生の芸術」という意味で、正規の芸術教育などを専門的に受けていない人が流行や人の評価にとらわれず衝動的に生み出す芸術作品とされています。

つまり、私の描く絵もアールブリュットといえるのかもしれません。

私はいまだに子どものころノートを埋め尽くしていた何百匹という猫の絵を無意識にメモ書き一面に描いていることがあります。不思議なことに、強いストレスがかかった時などに多いのですが、衝動的に同じ絵を繰り返し描くことで発散しているのかもしれません。

今、日本のアール・ブリュット作品が世界中で注目され始めています。日本のこれらの作品は、強い衝動性のなかでも繊細さが目立ちます。細やかで丁寧な作業を続けられるのは、日本人特有の忍耐強さや繊細さと国民性からかもしれません。

以前、精神科医のきたやまおさむ先生のアール・ブリュット入門という講座に参加したことがあります。

そこで先生は「アールブ・リュットには曖昧なものを割り切ることなく曖昧なまま置いておける力を我々に与えてくれる。」とおっしゃっていてとても共感いました。

日本には古くから曖昧さや両義性を楽しむ文化がありました。例えば、「いい加減」という言葉、ちょうどいい加減という意味もあれば、適当という全く逆の意味もなします。
最近では「ヤバイ」なんて言葉も若者の間ではその両義性が認められますね。

しかし、様々なことが数字や科学で証明され続ける先進国では、その本来の能力も失いつつあるのかもしれません。

人々は無意識に失いつつあるその能力をと取り返すべく、アール・ブリュットに惹かれ、魅了されるのかもしれません。

アール・ブリュット作品を目の前にすると、時に、その絵のもつ意味や背景に想いを巡らせることすら無意味に感じるほどの衝撃を私たちに与えてくれます。
その作品を生み出す彼らが意味を考えながら創っているのか創っていないのか我々には計り知れませんが、ただただその衝動性と連続性に圧倒され魅了されるのです。

確かに自分を振り返ってみると、子どもたちを通して「曖昧なものを割り切ることなく曖昧なまま置いておける力」が以前よりもついた気がします。日々子どもたちのもつ純粋性、衝動性に触れることで成長させてもらっているのです。

いまこそ私たちにアール・ブリュットや子どものもつ力が必要なのかもしれません。

 

放課後等デイサービス アトリエたいようでは年齢や経験を問わずボランティアさんを募集しています。
あなたも子どもたちと一緒に創作活動をしながら、この力に触れてみませんか。

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です